-
仕事帰りの弔問と夜の時間
突然の訃報は、私たちの日常に容赦なく割り込んできます。特に、仕事中に知らせを受け、その日の夜に行われるお通夜に、職場から直接駆けつけなければならないという状況は、多くのビジネスパーソンが経験することです。このような時、夜という時間帯は、日中の葬儀告別式には参列が難しい人々にとって、故人とお別れをするための、かけがえのない機会となります。しかし、仕事帰りという特殊な状況だからこそ、守るべきマナーと配慮が存在します。まず最も気になるのが服装です。本来、お通夜は「取り急ぎ駆けつける」という意味合いから、ダークスーツなどの平服でも許容されてきました。しかし、現代では準喪服での参列が一般的です。可能であれば、会社のロッカーなどに葬儀用のネクタイや黒い靴下、女性であれば黒いストッキングなどを「お悔やみセット」として常備しておき、最低限の身だしなみを整えてから向かうのが理想的です。それが難しい場合でも、派手な色のネクタイは外し、できる限り控えめな装いを心がけましょう。次に、時間の問題です。仕事が長引き、どうしてもお通夜の開始時間に間に合わない、ということもあるでしょう。その場合でも、儀式の途中からでも参列することは決して失礼にはあたりません。遅れて到着した際は、会場の係員に静かにその旨を伝え、指示に従って後方の席に着きます。焼香の案内があれば、列の最後に加わらせていただきます。大切なのは、遅れたことを気に病むよりも、故人を悼む気持ちを持って、その場に駆けつけることです。儀式に間に合わなくても、閉式後、ご遺族に直接お悔やみを述べ、お線香を一本あげさせていただくだけでも、あなたの弔意は十分に伝わります。夜という時間は、働く私たちに、社会的な務めを果たしながらも、人間としての弔いの心を示す機会を与えてくれます。その貴重な時間を、最大限の敬意と配慮をもって過ごすことが、参列者としての誠実な姿勢と言えるでしょう。
-
父の笑顔を集めたボード作りの時間
父が亡くなり、通夜までの二日間、私たちの家族は、深い悲しみに沈みながらも、一つの作業に没頭していました。それは、父の葬儀で飾る「メモリアルボード」を作ることでした。生前の父は、写真が嫌いで、特に改まって撮られることを、いつも避けていました。だから、遺影に使えるような、きちんとした写真が、一枚も見つからなかったのです。途方に暮れた私たちに、葬儀社の担当者の方が、「それなら、スナップ写真を集めて、お父様らしい思い出のボードを作ってみてはいかがですか」と、提案してくれました。その一言が、私たちを動かしました。押し入れの奥から、何冊もの古いアルバムを引っ張り出し、母と、兄と、私の三人で、リビングの床に広げました。そこには、私たちが忘れていた、たくさんの「父の笑顔」が眠っていました。社員旅行で、同僚たちと肩を組んでおどける、若い頃の父。私が初めて自転車に乗れた日、後ろで誇らしげに、しかし少し照れくさそうに笑う父。孫娘にせがまれ、慣れない手つきでままごと遊びに付き合う、優しい祖父としての父。一枚、また一枚と、写真を選び出すたびに、私たちの口からは、自然と、父との思い出話が溢れ出てきました。「この時、お父さん、こう言ってたよね」「この服、お母さんがプレゼントしたやつだ」。涙と、そして、たくさんの笑い声。それは、父の死をただ悲しむだけの時間ではなく、父が、私たちにどれほど多くの愛情と、温かい時間を残してくれたかを、再確認するための、かけがえのない時間でした。私たちは、選んだ写真を大きなコルクボードに貼り、母が、少し震える手で、「ありがとう、お父さん」と、タイトルを書き入れました。葬儀当日、祭壇の横に飾られたその不格好なボードは、どんな立派な遺影よりも、父の、不器用で、愛情深い人生を、雄弁に物語っていました。あのボード作りの二日間は、父が、私たち家族に遺してくれた、最後の、そして最も温かい贈り物だったのだと、今、心の底から思います。
-
ボードが教えてくれた故人の素顔
先日、大学時代の恩師の葬儀に参列しました。先生は、講義では常に厳格で、私たち学生とは、どこか一線を画している、少し近寄りがたい存在でした。深い尊敬の念と共に、先生の訃報に接し、厳粛な気持ちで斎場へと向かいました。会場に入ると、祭壇の横に、一枚の大きなボードが飾られているのが、目に飛び込んできました。それが、先生の「メモリアルボード」でした。そこには、私が知っている、講壇の上の厳しい先生の姿は、ほとんどありませんでした。代わりにあったのは、満面の笑みで、大きな魚を釣り上げている姿。奥様と二人、仲睦まじく寄り添い、海外の美しい風景の中に立つ姿。そして、小さな孫娘を、これ以上ないほど優しい眼差しで見つめ、肩車をしている姿。写真の一枚一枚に、奥様の手によるものであろう、温かいコメントが添えられていました。「釣りが何よりの生き甲斐でした」「毎年、結婚記念日には、必ず花束をくれました」。私は、そのボードの前に立ち尽くし、しばらく動けませんでした。私が知っていた先生は、その人の、ほんの一部分でしかなかったのだと、思い知らされました。そのボードは、先生が、一人の夫として、一人の父親として、そして、一人の人間として、いかに豊かで、愛情深い人生を歩んでこられたかを、静かに、しかし力強く、物語っていました。焼香の順番を待つ間、私の隣にいた、同じゼミの友人たちも、そのボードを見ながら、「先生って、こんな一面があったんだな」「奥様のこと、本当に大切にされてたんだね」と、静かに語り合っていました。メモリアルボードは、私たち参列者同士の間に、自然な会話と、故人への新たな発見をもたらしてくれました。遺影の中の、少しだけ寂しげな先生の顔が、そのボードの温かい光に照らされて、どこか、優しく微笑んでいるように見えたのは、きっと、私だけではなかったはずです。
-
お通夜の時間に遅れてしまう場合
仕事がどうしても長引いてしまった、あるいは、予期せぬ交通渋滞に巻き込まれてしまった。お通夜に参列しようとする際、やむを得ない事情で、開始時間に間に合わず、遅刻してしまうことは、誰にでも起こりうることです。そんな時、「もう遅いから、参列するのはやめておこう」と諦めてしまうのは、あまりにもったいないことです。たとえ遅れてしまっても、故人を悼む気持ちを持って駆けつけることは、決して失礼にはあたりません。ただし、その際には、厳粛な場の雰囲気を壊さないよう、最大限の配慮とマナーが求められます。まず、大幅に遅れることが分かった時点で、もし可能であれば、葬儀会場に一本電話を入れ、遅れる旨を伝えておくと、より丁寧な印象を与えます。会場に到着したら、すでに儀式が始まっている場合は、決して正面から、慌てて式場内に入ってはいけません。まずは、受付を探し、そこにいる係員の方に、遅れて到着した旨を小声で伝えます。「遅くなりまして、大変申し訳ございません」と、お詫びの言葉を述べ、香典を渡し、記帳を済ませましょう。そして、係員の指示に従い、式場内へと入ります。この時、儀式の進行を妨げないよう、静かに、そして身をかがめるようにして、後方の空いている席へと、そっと着席します。儀式の最中は、他の参列者と同様に、静かに故人を偲びます。焼香の案内があった場合は、すでに自分の列の順番が終わっていたとしても、最後に焼香をさせてもらえることがほとんどです。その際も、係員の案内に従い、静かに祭壇へと進みましょう。もし、到着した時点ですでに儀式が終了し、通夜振る舞いの時間になっていたとしても、問題ありません。受付を済ませた後、ご遺族の元へそっと近づき、遅れたことをお詫びした上で、「せめて、お線香だけでもあげさせていただけますでしょうか」とお願いすれば、快く祭壇へと案内してくださるはずです。遅刻したことへの罪悪感よりも、故人を思う誠実な気持ちと、ご遺族への配慮の心を、行動で示すこと。それが、最も大切なマナーなのです。
-
葬儀後も生き続ける思い出のボード
心を込めて作り上げたメモリアルボード。葬儀という、たった一日か二日の儀式のためだけに、その役目を終えてしまうのは、あまりにもったいないことです。実は、葬儀が終わった後も、メモリアルボードは、形を変え、場所を変え、故人を偲び、家族の絆を繋ぐための、かけがえのないツールとして、長く生き続けることができるのです。その最もシンプルな活用法が、**「自宅での展示」です。葬儀で使ったボードを、そのままの形で、リビングや、家族が集まる部屋の壁に飾ります。それは、日常の空間に、故人の笑顔と温かい思い出が、常に存在し続けることを意味します。ふとした瞬間に、ボードの写真に目をやり、故人に心の中で語りかける。それは、残された家族にとって、日々の暮らしの中で、故人の存在を感じ続けることができる、大きな心の支えとなります。次に、「法要での再展示」です。四十九日や一周忌、三回忌といった、親族が集まる法要の際に、メモリアルボードを再び会場に飾ります。葬儀に参列できなかった親族に、故人の人生を改めて伝えることができるだけでなく、法要の席での会話のきっかけともなります。年月が経つにつれて、少しずつ薄れていってしまう故人の記憶を、皆で再び共有し、色鮮やかに蘇らせるための、素晴らしい機会となるでしょう。さらに、現代ならではの活用法として、「デジタル化して共有する」**という方法もあります。ボード全体や、そこに貼られた写真一枚一枚を、スキャナーやスマートフォンでデータ化し、親族だけがアクセスできる、オンラインのアルバムや、クラウドストレージに保存します。これにより、遠方に住んでいて、実物のボードを見ることができない親族とも、いつでも、どこでも、思い出を共有することが可能になります。また、物理的なボードが経年劣化してしまうリスクからも、大切な思い出を守ることができます。メモリアルボードは、葬儀という「点」で終わるものではありません。それは、故人が亡くなった後も、残された私たちの人生という「線」に、温かい光を灯し続けてくれる、永遠の家族の宝物なのです。