父が亡くなり、通夜までの二日間、私たちの家族は、深い悲しみに沈みながらも、一つの作業に没頭していました。それは、父の葬儀で飾る「メモリアルボード」を作ることでした。生前の父は、写真が嫌いで、特に改まって撮られることを、いつも避けていました。だから、遺影に使えるような、きちんとした写真が、一枚も見つからなかったのです。途方に暮れた私たちに、葬儀社の担当者の方が、「それなら、スナップ写真を集めて、お父様らしい思い出のボードを作ってみてはいかがですか」と、提案してくれました。その一言が、私たちを動かしました。押し入れの奥から、何冊もの古いアルバムを引っ張り出し、母と、兄と、私の三人で、リビングの床に広げました。そこには、私たちが忘れていた、たくさんの「父の笑顔」が眠っていました。社員旅行で、同僚たちと肩を組んでおどける、若い頃の父。私が初めて自転車に乗れた日、後ろで誇らしげに、しかし少し照れくさそうに笑う父。孫娘にせがまれ、慣れない手つきでままごと遊びに付き合う、優しい祖父としての父。一枚、また一枚と、写真を選び出すたびに、私たちの口からは、自然と、父との思い出話が溢れ出てきました。「この時、お父さん、こう言ってたよね」「この服、お母さんがプレゼントしたやつだ」。涙と、そして、たくさんの笑い声。それは、父の死をただ悲しむだけの時間ではなく、父が、私たちにどれほど多くの愛情と、温かい時間を残してくれたかを、再確認するための、かけがえのない時間でした。私たちは、選んだ写真を大きなコルクボードに貼り、母が、少し震える手で、「ありがとう、お父さん」と、タイトルを書き入れました。葬儀当日、祭壇の横に飾られたその不格好なボードは、どんな立派な遺影よりも、父の、不器用で、愛情深い人生を、雄弁に物語っていました。あのボード作りの二日間は、父が、私たち家族に遺してくれた、最後の、そして最も温かい贈り物だったのだと、今、心の底から思います。
父の笑顔を集めたボード作りの時間