「葬式泥棒」という、あまりにも卑劣で、許しがたい犯罪が存在することを、ご存知でしょうか。これは、新聞のお悔やみ欄や、地域の掲示板、あるいは、家の前に掲げられた「忌中」の貼り紙などから、その家が葬儀のために長時間、無人になることを突き止め、その隙を狙って侵入し、現金や貴重品を盗み出す、悪質な空き巣の手口です。大切な家族を失い、心身ともに最も弱っているご遺族を、さらに奈落の底に突き落とす、この非道な犯罪から、家と、そして残された家族の心を、どのように守れば良いのでしょうか。その最も古くから伝わる、そして、今なお最も有効な対策の一つが、信頼できる第三者による「留守番」なのです。警備会社のセキュリティシステムや、防犯カメラの設置も、もちろん有効な対策です。しかし、これらの機械的なシステムには、ないものがあります。それは、人の「気配」と「温かみ」です。家に明かりが灯り、時折、人の動く気配がする。それだけで、プロの窃盗犯は、その家をターゲットから外す可能性が、格段に高まります。また、留守番役は、単に家にいるだけでなく、かかってくる電話に応対したり、訪れる弔問客と玄関先で言葉を交わしたりします。こうした、外部との自然なコミュニケーションの存在が、「この家は、決して無防備ではない」という、何よりの証となるのです。葬儀の留守番は、ただ、ぼんやりと座ってテレビを見ているだけの、簡単な役割ではありません。それは、故人が残した、大切な思い出の詰まった家という空間を、そして、悲しみにくれる家族の、最後の心の拠り所を、悪意ある侵入者から、その身をもって守るという、誇り高く、そして重要な「衛兵」の役割を担っているのです。この慣習は、単なる古いしきたりではありません。それは、地域社会の連帯と、人と人との信頼関係によって、悲しみに沈む家族を、現実的な危険から守ろうとする、日本人が育んできた、温かく、そして力強い「生活の知恵」の結晶なのです。
葬式泥棒から家を守る留守番