私の祖母は、小さな庭で季節の花々を育てることが何よりも好きな人でした。春にはチューリップ、夏には朝顔、秋には菊。しかし、その中でも祖母が最も慈しんでいたのが、家の中で大切に育てていた一鉢の胡蝶蘭でした。毎年、冬になると純白の美しい花を咲かせるその蘭を、祖母はこの子は気高くて、美しいからねと言って、毎日飽きることなく眺めていました。そんな祖母が亡くなった時、葬儀の祭壇をどうするかという話になりました。母は迷うことなく、お母さんが一番好きだった、白い胡蝶蘭でいっぱいにしてあげたいと言いました。葬儀当日、斎場に設けられた祭壇は、私たちの想像をはるかに超えて、息をのむほど美しいものでした。中央の祖母の遺影を、まるで天蓋のように、幾重にも重なる純白の胡蝶蘭が優しく包み込んでいたのです。それだけではありません。祭壇の両脇には、祖母の生前の交友関係の広さを物語るかのように、全国各地から贈られた見事な胡蝶蘭の鉢植えが、所狭しと並べられていました。その光景は、ただただ荘厳で、清らかでした。悲しいはずの葬儀の場が、まるで祖母の人生の集成を祝福する、神聖な空間のように感じられました。式の最中、私はその純白の花々を見ながら、祖母との思い出を一つひとつ辿っていました。祖母が教えてくれた花の育て方、一緒に作った草餅の味、そして、いつも私のことを自慢の孫だよと言ってくれた、あの優しい笑顔。胡蝶蘭の清らかな佇まいが、祖母のまっすぐで、愛情深い人柄そのものを表しているようでした。葬儀が終わり、私たちは、親戚から贈られた一鉢の胡蝶蘭を、形見分けとして家に持ち帰りました。今、その胡蝶蘭は、祖母が使っていた窓辺に置かれています。水を与えるたびに、私は祖母と会話をしているような気持ちになります。おばあちゃん、見てる?今年も綺麗に咲かせられるように、頑張るからね。胡蝶蘭を見るたびに、私は祖母の葬儀の日の、あの清らかな光景を思い出します。それは、悲しい別れの記憶ではなく、祖母の美しい人生と、たくさんの愛情に包まれた、温かい記憶として、私の心に深く刻まれています。
祖母の葬儀と純白の胡蝶蘭の記憶