父が亡くなった時、私たち家族は「一日葬」という形を選択しました。高齢の母の体力的な負担が、一番の理由でした。二日間にわたる葬儀で、母が気丈に振る舞い続けるのは、あまりにも酷だと感じたのです。また、私の兄弟や親戚も、遠方に住んでいる者が多く、一度の帰省で済む一日葬は、皆にとって負担の少ない形でした。葬儀当日、私たちは朝早くに斎場に集まりました。通夜がない分、告別式が始まる前の午前中が、私たち家族だけで父と過ごす、最後のプライベートな時間となりました。納棺の儀では、一人ひとりが父の好きだった本や、愛用していた万年筆を棺に入れ、感謝の言葉をかけました。静かで、濃密な、かけがえのない時間でした。昼過ぎから始まった告別式には、父の友人や元同僚など、思いのほか多くの方々が駆けつけてくださいました。通夜がないため、皆さんがこの日のこの時間に合わせて、懸命に都合をつけてくれたのだと思うと、胸が熱くなりました。読経、焼香と、式は滞りなく進み、出棺の時を迎えました。その時、父の親友だった方が、母のそばに来て、こう声をかけてくれました。「奥さん、一日葬、良い判断だったと思うよ。あいつも、皆に気を遣わせるのは嫌いな奴だったからな。今日、こうして顔を見られて、本当に良かった」。その言葉に、私たちはどれだけ救われたことか分かりません。一日葬を選んだことに、どこか「簡略化して申し訳ない」という気持ちがあった私たちの心を、その一言がすっと軽くしてくれました。もちろん、もっとゆっくりお別れがしたかった、という気持ちがなかったわけではありません。しかし、母の体を第一に考え、遠方の親戚の負担を思いやり、そして何より、父らしいシンプルな形で見送ることができた。私たちの選択は、間違いではなかったのだと、今、心から思っています。
父を一日葬で見送った日のこと