夜中の2時15分、病院のベッドの横でモニターの波形が平坦になるのを見つめていた私は、医師の死亡宣告を聞いてもどこか現実感がありませんでした。看護師さんがエンゼルケアを施してくれている間、私の頭の中ではこれからの24時間をどう過ごすべきかという事務的な思考が、悲しみを押し退けて渦巻いていました。日本の法律では死後24時間は火葬ができないと聞いていましたが、実際にその状況に置かれると、その24時間がどれほど長く、そして短いものかを痛感することになりました。自宅へ連れて帰った父の遺体は、まだ少し温かみが残っているような気がして、私は何度もその手を握りました。葬儀社の担当者がテキパキと枕飾りを整え、ドライアイスを配置していく様子を眺めながら、私はようやく父が本当に死んでしまったのだということを自覚し始めました。24時間という時間は、法律が無理やり私たちに与えた猶予ですが、もしこの法律がなければ、私はパニックのまま父を火葬場へ送り出していたかもしれません。夜が明けて、親戚が集まり始め、父の好きだったお酒を供え、これまでの思い出を語り合う中で、父の顔が少しずつ穏やかになっていくように見えました。24時間待たなければならないという制約は、私たち遺族にとっては、故人の肉体がこの世に存在している最後の時間を噛み締めるための、かけがえのないプレゼントだったのです。食事を共にし、昔話に花を咲かせ、時に涙し、時に笑う。そんな何気ない1日を過ごすことで、私たちの心は少しずつ別れの準備を整えていきました。法律の第3条が定める24時間の待機は、医学的な仮死状態の確認という本来の目的を超えて、残された家族の心を救うための救済措置のように感じられました。翌日の午後、24時間が経過して火葬場へ向かう霊柩車の中で、私は父の顔を最後に見たとき、不思議なほど晴れやかな気持ちでした。24時間という時間を共に過ごし、十分に語りかけ、十分に手を握ったという満足感が、喪失の穴を埋めてくれたからです。死は一瞬で訪れますが、その死を受け入れるには、最低でも24時間という時計の針の回転が必要なのだと、父の冷たくなった額を撫でながら強く思いました。この24時間は、父が私に遺してくれた最後の教育の時間だったのかもしれません。
父が逝ったあとの最初の24時間を共に過ごして感じたこと