私の実家で父が亡くなった際、私たち家族は非常に困難な決断を迫られました。それは、アメリカの西海岸に住んでいる私の兄が、どうしても葬儀に参列したいと強く希望したからです。父が息を引き取ったのは月曜日の夜でしたが、兄がフライトを確保し、仕事を整理して日本に到着できるのは最短でも金曜日の午前中でした。通常のスケジュールであれば、火曜日に通夜、水曜日に葬儀を行うのが一般的でしたが、私たちは兄を待つために、あえて葬儀を土曜日に、通夜を金曜日の夜に設定することにしました。死後5日間もの間、父の遺体を安置し続けることには不安もありました。葬儀社の担当者に相談したところ、「ドライアイスの管理を徹底し、冷房の効いた専用の安置室であれば5日間程度なら問題ありません」という回答を得て、私たちはその方針で進めることにしました。日程を延ばしたことで、多くの調整が必要になりました。まず、菩提寺の住職には事情を正直に話し、通常より遅い日程での儀式を快諾していただきました。また、父の職場関係の方々には、日程が遅れる旨を丁寧に説明し、混乱を招かないよう配慮しました。この「待つ5日間」は、私にとっても非常に不思議な時間でした。父が亡くなったという現実はありながらも、まだ家(安置施設)に父がいて、兄の到着を家族全員で待っている。その期間、私たちは毎日父に会いに行き、普段忙しくて話せなかったことや、これまでの感謝の気持ちを、ゆっくりと父に語りかけることができました。もし兄が間に合わない日程で葬儀を済ませていたら、兄の心には一生消えない後悔が残ったでしょうし、私たちもどこか欠けたような気持ちで父を見送ることになったはずです。金曜日の朝、兄が空港から斎場に直行し、父の顔を見た瞬間に流した涙を見て、私はこの日程調整が正解だったと確信しました。葬儀日程は、単に火葬場の空き状況や僧侶の都合で決まるものではなく、遺された家族が全員で「さよなら」を言うために必要な時間を確保するためのものなのだと痛感しました。最終的に土曜日に行われた葬儀は、親族全員が揃い、非常に温かい雰囲気の中で父を送り出すことができました。物理的な安置期間を延ばすことによる追加費用は発生しましたが、それは兄が父と対面し、納得して別れを告げるための対価として、家族全員が納得できるものでした。時間の長さではなく、そこに集まる人々の心の準備こそが、葬儀日程を決定する最も重要な指標であるべきだと、今でも強く思っています。